18切符最果ての旅

肌を刺すような日差し、耳を劈く蝉の音、鼻腔を擽る潮の薫りと目に焼き付いて離れない海の青。

今は遥か別たれてしまった向こう側の記憶を想いながら、生き続ける。









_________果てなき世界




夏休み、学生は青春を謳歌し課題に追われる季節。

連日更新されていく最高気温と高すぎる湿度にあてられ、何のやる気もなくなってしまったリーフェンは一人、格技場の床に寝そべっていた。




心地よい風と冷たい床、静かなこの空間は武術部部長の特権とも言える。中高一貫校であるがゆえに生徒数が多く、様々な運動部が夏休みに合宿や強化練習をする中でも武術部は比較的暇だ。他の部活ほど部員が多い訳ではない事もあるが、部長がそもそも活発ではない所も大きい。


実家の道場の手伝いで十分、鍛練は一人でいいと言って帰宅部を選ぼうとした当時中学生のリーフェンを、道場通いで顔見知りの先輩が無理矢理廃部寸前の武術部に引き入れてから早五年。大会で負けなしの彼がいるという噂が広まったことで部員が増え、廃部を免れた武術部。支持者が多いことも相まって、リーフェンはいつの間にか入部二年にして部長にまでなっていた。


それからは穏やかで、個々が自由に鍛練をこなしたまに練習試合、あとは自由にゆるく過ごすというだけで部活は十分に維持できた。

別にストイックな日々など求めていない。平和であればそれ以上のことはないのだ。魔物のいない果てなき世界ではなおさら。だから無駄に厳しいことはしない。それぞれ自由に、気の向くままに、それがリーフェンの方針だった。


かくして現在の武術部は出来上がった。

何か注文がなければ夏休みは無理に集まらない。今年はそういう年だったようで、特に予定は入っていない。そこでリーフェンは早々に課題を片付け、格技場に入り浸っていた。別に道場でもよかったが、夏の短期レッスンとやらが意外に好評であり、増えた受講者に混ざるよりは誰もいない学校の格技場を使おうと、一人格技場の鍵を開けるのだ。鍵の管理は格技場をつかう武術部、剣道部、弓道部が任されている、故に部長の特権。半ば職権乱用だが、使えるものは使っておきたい。


今日も朝から格技場を解放し、掃除から始めたリーフェンだったが、この日は特に暑かった。学校にたどり着くまで、小高い丘を上り徒歩20分。真夏の日差しをしのぐため日傘を差していたが、コンクリートの地面から沸き立つ熱気はどうしようもない。そうして登校と掃除で体力を消耗し、床に転がっているのだ。夏とはこんなに暑いものなのかと驚いたのが懐かしい記憶として甦る。





果ての世界では季節が変わらなかったから。




自分はもともと果ての世界と呼ばれる場所で過ごしていて、死してこの果てなき世界へ飛んでしまったと気づいたのはまだ二桁の歳にもならない頃だった。

今でも鮮明に思い出せる、最期の瞬間。

命をかけて戦った、長いような短いような旅路。勝っても負けても死ぬ運命ならせめてと、ルシアを果ての王が待つ最深部へ送り届けるため、自身は数名の仲間と共に途中で残ったのだ。身を引き裂かれる痛み、こぼれ落ちる血の生温さ、果ての王が倒され世界が消えるその瞬間、強く握られた手の感覚。

だからリーフェンはルシアがどうなったのかを知らなかった。もしかしたらルシアなら戻れたかもしれないとも考えていた。しかし、彼女も果てなき世界にいた、それが答えだ。果ての世界では死に、果てなき世界で生を受け生きることになった。恐らく、あの戦いにいた人達は全員。


何人もの顔馴染みと出会った。

記憶がある人も、ない人も、まだ出会ってない人も、学生という立場では到底顔を合わせることなんてできないであろう人も見かけた。けれども、それでいいとリーフェンは思っている。憶えていればかつての旅を語らう戦友であり、憶えていなければたとえ過去の関係がどうであれ、それはもう他人で。この生を謳歌できているのであれば、良いではないか。そんな風に考えることで、今まで喪失の虚しさをしのいできたし、これからだってそうだ。出せる思いは吐き出して、出せない思いは大切にしまって、今日も生きているのだ。





そんな辛気くさいことを考えているうちに、いつの間にか日は高く昇っていた。

ずいぶん長い間寝そべっていたようで、すっかりと汗は引き、纏わりつくような不快さは消えていた。


ようやく行動するまでの気力が回復し、準備をしようという時、誰かが近づいてくる気配を感じる。平和な分全盛期よりは多少鈍ったが、記憶を取り戻してから勝手に発現した能力。平凡な日常生活には殆ど不必要であるし、別にこれから鍛えようというつもりもない。使いようによってはちょっと便利かもしれない、気配の察知能力。近づく気配が見知った人だとわかると、リーフェンは入り口まで彼女を迎えに行った。


「剣道部は休みと聞いたが」

「別に剣道部として来たわけじゃないですよ。ていうか、リーフェンさんだって休みでしょ」


そう言って格技場へ上がり込んだのは、ルシアだ。今はリーフェンの二歳下の後輩に当たり、剣道部として平和な世界でも相変わらず剣を振るっている。そして果ての世界の記憶を持つ人物。学内で旅の記憶を共有できる唯一の人だ。


「お邪魔でした?」

「…………いや、かまわない」

「やった!じゃあ失礼しまーす」


ルシアは共に死線をくぐり抜けてきた旧知の間柄であり、普段あまり人と関わらないリーフェンにとって、最も気の置けない友人である。学内での積極的な交流まではいかないものの、困った時はすぐに頼れる、兄妹のような関係がそこにはあった。寡黙であるリーフェンの口数が多少増えるのも、ルシアの前だけなのだ。


「またやります?剣対素手の異種試合。リーフェンさんがやるって広告出すとすごい集客になるんですよ」

「気が向けば」

「じゃあ次の合同練習の時ですかね。隣街から遠征も来るみたいで、ノクトーブもいるらしいですし」


『ノクトーブ』という名前が出た瞬間、リーフェンの動きが一瞬停止する。

かつてサイレントシーカーなるウォービーストを使いルシア達を襲撃し、リーフェンによって徹底的に負かされてしまったノクトーブ。彼が何の因果か、同じ町の違う学校で記憶を持ち生活していたのだ。

どうやらリーフェンに完全敗北したことを根に持っているようで、事あるごとに突っかかりに来るのだ。散々追いかけ回し、果てには合同練習を理由に決闘まで申し込んでくるようになった。何回やってもノクトーブに勝算など微塵もないのだが、それでも面倒なことには変わりない。


「ついでにコテンパンにしといたらどうです?どうせ申し込まれますよ」

「…………」

「面倒?」

「……面倒」


そんな他愛もない話を続けているうちに、随分と時間がたっていた。もう時刻は昼過ぎ。いつの間にかルシアが持ち込んだ菓子類を広げ、それに合わせてリーフェンがお茶を淹れたおかげですっかりお茶会ムードになってしまっている。そろそろ本当に鍛練をしようと考えたとき、ルシアが思い出したように封筒を取り出した。


「そうだ、あたし今日練習しに来たわけじゃないんですよ。デートのお誘いしようと思って」

「でーと」

「そう、青春18きっぷって知ってます?一セット五枚綴り。一日一枚で電車乗り放題。あいつ……ライと一緒に出かけた時に二枚使って、三枚余ってるんです。期限もあるし、今週あたり気晴らしにどうかなーと思って」


封筒にしまわれていたのは、三枚に綴られた切符。もとは五枚綴り、今時ICカードが主流のなかで、紙の切符だ。


「まあ、デートは冗談ですけど。リーフェンさん、まだどこも遠出してないでしょ?」


リーフェンは問いかけに答えなかったが、学校以外に外出といえるものをしていないのは確かだ。小旅行に誘えるような友人はいないし、ここ最近は何かを楽しもうと思える余裕がないほどに疲れていた。


「無理にとは言いませんから。ただ、話したいこと全部話して、ゆっくり休む時間が必要かと思って」

「……別に」

「問題ないわけないでしょ?辛いことがあったのに大丈夫なんて嘘です」


自分ではない、他人の心配をするルシアはいつもひたむきだ。自分のことはいつも後回しにするくせに、とリーフェンは密かに思っているのだが、今だけは彼女の気遣いがありがたい。


「今週末、9時に駅で待ってますから」

「まだ行くとは……」

「そんなこといって、リーフェンさん来てくれるじゃないですか。あの時だって何だかんだでついてきてくれたし」


そう言って一枚切り取った切符を無理矢理押し付ける。それとこれとは違うと言い返す間もなく、リーフェンはそれを受け取らざるを得なくなってしまった。きっと最初からそれが狙いでやってきたのだろう。ルシアは切符を譲り終えて満足したのか、広げた菓子も片付けずに格技場をあとにしてしまった。彼女が去っただけで、格技場はしんと静まり返る。


本当に行くのが嫌ならば、帰り際にルシアを訪ねて断るなり何なりできたはずだ。それをしなかったのはやはりルシアからの頼みだったからなのか、それとも自らの意思で行こうと思えたのか、リーフェン自身にもわからなかった。ただ確かなのは、彼は今週末、出掛けなくてはいけないということだけだ。











____________果ての世界

もう声も思い出せないほど遥か彼方に過ぎ去った世界の記憶。日々死と隣り合わせだったが、仲間と共に歩み、傍で寄り添いたいと思える誰かができ充実したあの時。叶うことならもう一度言葉を交わしたいと願っても、もう戻ることのできないあの瞬間。


フロンティアブルー号での旅、移動中特にやることのないリーフェンはいつもお茶を淹れていた。そうしていると決まってある人がやってくる。

 

「     」


名前を呼ばれる瞬間、胸が高鳴るのを感じるが、平然を装う。その人は彼を見つけるとありのままに感情をほころばせ、嬉しそうに傍に寄る。表情を出さないことに長けていて良かったと彼は毎回のように思うのだ。そんな無表情をもってしてもその人には見抜かれてしまうのだが。

初めは積極的に交流を持とうとするその人を特異な人だとリーフェンは思った。特異という点においてはルシアも似たようなものだが、その人は心に寄り添うように、隙間を埋めるように接してきた。それがとても心地よくて、離れがたいと思った。23年、たいして長く生きているわけではないが、その人のように心を許せる人は現れないだろうとも思えた。


だからあの約束は、最期の地で交わした約束は。もしまた生を受けることができるなら、必ず巡りあってまた歩もうという言葉は、初めて心から願った特別なものだった。


もっとも、その約束を交わした声でさえ忘れてはしまうほどに時が流れてたしまったのだが。